2014年12月20日土曜日

キリエンカインタビュー記事:Narodnaya Volyaより。

ベラルーシのメディアNanodnaya Volyaの11/25付記事にもキリエンカのインタビュー記事が出ていました。毎度ながら雑訳申し訳ありません。。。

Василий КИРИЕНКО: «Есть еще порох в пороховницах»

ヴァシル・キリエンカ「年老いるまでが人生」

有名な自転車ロードレース”ジロ・デ・イタリア”、”ブエルタ”のステージ勝者、”ツール・ド・フランス”のステージ入賞者であるヴァシル・キリエンカはここ数日間母国ベラルーシで過ごした。
今はオフシーズンの休息を過ごしている為、僕はリチェザに行き、僕の質問に答えてもらった。

-あなたは海より家にいる方がお好きですか?
3人目で娘が生まれたから、僕は今は家族と充電している。彼女はまだ6ヶ月だから外に出て海に行くというオプションはまだ考えてない。そして既に翌シーズンに向けての準備が必要だ。

-大家族にしたいと常にお考えですか?
僕は大家族の中で育ったからね。僕はたくさん子供がいるといいなと思っている。素晴らしいことだと思うし、決して寂しくないだろうしね。

-家族はあなたとスペインかベラルーシで暮らしていますか?
リチェザへは時々にも関わらず訪れている。僕はスペインでは永遠に暮らすことはないだろうね。ここはトレーニングにはふさわしく安心できる地域ではあるけれども。

-息子さんは、恐らく自転車の選手になるでしょうか?
何とも言えないけどね。彼は4歳になったけれども、既に2つのホイールがついた自転車に乗っているよ。父の仕事をするなら一般的には素晴らしい。でもまだ考えるには早すぎる。子供はいつも両親の跡をたどるとは限らない。もし父のように成功したならば、僕は嬉しいけどね。

-リチェザでは、有名なレースである”ツール・ド・フランス”での素晴らしい1ステージ入賞についてどのように触れられていましたか?
誰も触れることはなかったね。僕は地元のローカル新聞のインタビューを受けた。学んだことを少しとか、アプローチやコミニュケーションとか…。でも、僕は”スターダム”はないんだよね。それは最前線に幾つか現れる入り口に来た時に、誰も挨拶をしてくれないようなもので喜ばしくないこと。羨ましいと思う?そしてそれは街の運営にも言える。僕が最近地元のスポーツマネジメントの責任者に初めて会った。そして僕は街の政治を全く知らなかったんだよね。

-最近、街に変化はありますか?
夏に沢山の人々が自転車に乗っているのに気づいた。非常に流行してるね。そして多くの若者が健康なライフスタイルを過ごしている可能性がある。喜ばしいことだ!

-リチェザからミンスクまで自転車で走破しようとしないのですか?
いいや、270キロもあるよ。はっきり言って遠すぎる。ここからマズィル(管理人注:リチェザと同じゴメリ州にある都市)に行くのもだ。休日の間も僕は自転車に乗る。子どもたちと一緒なら、いくつかの問題からも気を紛らわせられるから好きだね。

-スペインの都市はあなたの地方の中心部8と比べてどう比較されますか?
街を比較するのは人の考え方同様できない。スペインでは沢山の歴史的名所が見ることができる。例えば、僕が住んでいるパンブローナの同じ街では、古い建物が壊されたら、この場所は整備された公園になる。全て正反対-公園は次にその場所に建物をを建てはじめるために壊される。僕はそれを”強化”と呼ぶ事を知っている。

-あなたは今33歳ですね。自転車レーサーにとって、高齢になりますか?
そのような年齢の自転車レーサーは”エキスパート”と呼ばれる。何かにおいて才能があるアスリートとしてスキルを持っているということ。しかし、他の言葉で言い換えると”ベテラン”だね。レーサーはスピードが落ちた時、彼らは自動的にこのカテゴリーに移動するんだ。

-若かった時は既に追いかけるのは難しいと?
若かった時はよりもっとふざけたり、無謀なことをやった。いうなれば、理性のなすがままにね。歳を取ってから違った方法でレース中に状況を判断したり、どのようにリスクを避けるかを考えた。まさにそのようにしたから、僕の頭は混乱を来さなくなったんだ。

-最近のシーズンはハッピーでしたか?
はっきり言えば、満足している。まず、”ツール・ド・フランス”で1ステージで入賞したこと、次に最近3年間世界選手権でメダル争いをしていること。どこか十分じゃないからメダルにちょっと届かないけど、火薬の粉末はフラスコの中にまだ残ってる。それを持っている僕はハッピーだね。

-世界選手権はスペインで開催されました。地元ファンはあなたを認識していました、サポートしてもらいましたか?
ポンフェラーダでは優位に過ごしたが、観客がいなかった。たどり着くまで難しいんだ-空港から車で2時間かかるからね。加えて街はインフラが本当に発達していなくて。一般的にスペインでは沢山のファンが居る。フランスやイタリアと同じくらい。勿論、仕事が正しく認識された時は嬉しかったよ。

-いつぞや、あなたは徹底的にベラルーシのスポーツ界に対して公式に忠告していた。「僕らが最大価格でも2~3000ユーロの自転車のコンピューターを買うには8000ユーロかかる;ポケットの中に興味がある人は、ベラルーシではよくありえる。」買収が横行しているような告白も…。
それはビジネスだ。でも今はナショナルチームや誰にとっても大いに事情があるから僕は何も言いません。

-キャリアの終わりについてはまだ考えていませんか?
それは考えるけど、まだ5年はやりたい。

-トレーナーの仕事をやろうとは思いませんか?
興味はある、でも何事も提示された状況によるかな。僕自身、3人の子どもたちがそばにいるから我慢する必要があるのはわかってる。要するに、トレーナーとして働く準備はある。でもしたがって、家族を食べさせるためのお金が十分でなければ反映されない。僕らの人生の重要なポイントに達すれば、賛同するだろうね。

-ベラルーシでトレーナーをするなら、恐らく本当に高給でないといけないでしょうか?
きっとね。もらえる給料全てに価値があるというわけではありません。トレーナーでなくても、きっと間違いなくかっこ良くみせることではありませんから。

-それでは、スペインに戻るのですね
そう、チームの新しいトレーナーと、スタートの準備について質問をディスカッションする必要があるからね。12月にマヨルカのチームキャンプに向かう予定。また仕事を始めなくては。

-幸運を祈ります!

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3年前のPressballのインタ記事で言ってたガーミンのサイクルコンピューターの値段を例に取ったベラルーシの不安定な事情についての件で怒りをぶつけてた質問を蒸し返してくるとは思わんかった(^_^;)。まああれから3年経過して大分状況が変わってきて、トーンダウンしてるわ…(^_^;)。
彼の住まいのあるリチェザでも自転車ブームが始まったようで、若者が自転車に乗る光景が増えたことをとても喜んでいるようですね。とはいえ、まだまだ自転車ロードレースはメジャースポーツではない為、彼の活躍についてはそんなに大きく取り上げることが少ない様子。まあこれは焦らずに行きたいもんですね。せっかくミンスクでロードレースチームができることですし、これからだと思っております。

あと5年は現役を続けたい、と意欲を見せているのも頼もしい。

とりあえずこのインタでも12月にマヨルカのチームキャンプに行くって言ってるところからして、チームスカイのフェイスブックに載ってたサンタのコスプレのパーティの中に、彼もいるんですよね?どうだったんだろう…うーむ(・・;)。

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2014年12月11日木曜日

ベラルーシ初のコンチネンタルロードレースチーム誕生!

ベラルーシ登録の初のコンチネンタルロードレースチームが来年誕生します。

これまでトラックレース選手のチームだったミンスクサイクリングクラブにロードレース部門を新設することが決まり、このたび初年度のチーム布陣がまとまりました。
チーム名はミンスクサイクリングクラブコンチネンタルでいいのかな?CQにはチームミンスクってあったのだけど、正式名称がどっちなのかは気になるところで。

http://www.minskcyclingclub.com/en/news/minsk-cycling-club-continental-team-announces-2015-roster

チームリーダーは、アレクサンドル・クチンスキー。
これまでリクイガス、チームカチューシャに所属してグランツールを始めとしたトップカテゴリーのレースを数多く経験してきたベテランでもあります。今回、ロードレース部門を立ち上げるプロジェクトを始めるにあたり、経験豊富な彼に白羽の矢が立ちました。現役を続けながら、若い選手たちの指導役としても期待されている様子。

<その他の主力とされるメンバー>
○シアヘイ・パポク:現在はリエツム-デルフィン(ラトビア)所属。2007-2013迄イタリアのコンチネンタルチーム3チームに所属経験あり。2012年世界選手権RR出場。
○アンドレイ・クラシルニカウ:現在はAVC Aix-en Provence(フランス)所属。2011~2012年はガーミンのディベロップメントチームのチポレにも所属経験あり。2012年世界選手権個人TT出場。2013年ベラルーシRR国内チャンピオン。
○カンスタンティン・クリメンコフ:現在はアモーレヴィータ(イタリア)所属。イタリア、スイス、カザフスタンのチームで走った経験あり。

彼ら含めて11名のメンバーを発表しているのですが、その中で驚いたのが、アンドレイ・リソウスキーが加入予定であること。リソウスキーはキリエンカと同時期の頃にベラルーシを代表するトラック選手の1人で、2008年マンチェスター開催のトラック世界選手権のスクラッチで優勝、オムニアムで銅メダルをとった経歴がある人なのですが、メンバーに名前があるということはリソウスキーもとうとうロード転向することに決めたってことなんでしょうかねえ(・・;)。現在29歳なので決断下すのはこのタイミングだったかもしれませんが。(10月ぐらいに彼はトラック国内選手権走ってたはずなのだけど、この時もう決断はしてたってことかなあ?そこらへんがよくわからない)。
その他若く才能がある人材をチームに迎え入れているそうで、かなり期待を寄せられてる様子。

チームの拠点はベラルーシとイタリアを予定。コーチにはイタリア人とベラルーシ人コーチの二頭体制。アシスタントコーチはウクライナ人とちょっと多国籍体制?
既にUCIコンチネンタルチームロースターに加入も済んでおり、来季に向けての準備も万全のようです。

新しいチームの船出が良いものになりますことを祈っております。


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2014年12月10日水曜日

ベラルーシのスポーツ大臣兼観光大臣、自転車ロード選手と会見。

キリエンカとシウトソウ、女子のアスタナビーピンク所属のアミアリウシクの3人がスポーツ大臣兼観光大臣の要人に招待され、シーズンの報告と表彰を受けたとのニュースがベラルーシスポーツ省公式サイトの12/8付の記事に載っていましたので取り急ぎ、翻訳してみました。


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スポーツと観光庁大臣、ベラルーシサイクリストに会う。

スポーツ省と観光庁の大臣であるアレクサンダー・シャムコは自転車(ロードレース)のナショナルチームのメンバー、ヴァシル・キリエンカ、コンスタンチン・シウトソウ、そしてエレナ・アミアリウシクと会いました。

この会議には第1副大臣のアレキサンダー・ガジエフ、ナショナルチームのヘッドであるイゴール・ボレイシャ、自転車競技のナショナルオリンピックトレーニングセンターディレクターのヴァジム・トルチコリースならびに自転車のナショナルチームヘッドコーチのオレグ・ログフィンが同席しました。

主な目的は、スポーツシーズンの報告でした。

彼らアスリートがどのような話をしたかとはいえ、今年は悪くありませんでした。彼らそれぞれは大きな試合-2014年スペインの都市ポンフェラーダで行われたロード世界選手権で成功を示しました。

アレナ・アミアリウシクはイタリアのチーム、アスタナビーピンクのメンバーとしてチームレース(チームタイムトライアル)で銅メダルを勝ち取りました。イギリスのチームスカイのヴァシル・キリエンカとコンスタンチン・シウトソウはチームレースで4位になりました。キリエンカは個人タイムトライアルでも4位になりました。

2014年世界選手権での好成績を受けてベラルーシ共和国スポーツ省・官公庁から賞状を授与されました。彼らには相応の現金の報酬も与えられます。

表彰の後、非公式に意見交換の場が設けられました。アスリートたちは近い将来の彼らのプランを共にしました。彼らはサイクリングの大衆化の問題についても語りました。

ヴァシル・キリエンカによると、他の相並んだ今のベラルーシのロードレース選手は技術的、医学的には問題はなく、経験が足りません。スポーツ省やRTSOPサイクリング連盟との良い連携が確立したと言っています。

コンスタンチン・シウトソウは2年前にひどい骨折をした時を思い出し、ベラルーシ人のドクターが早く復帰できるように手伝ってくれたと述べました。コンスタンティンは、専門家をすぐ派遣してくれたベラルーシのスポーツ医学スペシャリストに心から感謝しました。

最も素晴らしいベラルーシサイクリストのアレナ・アミアリウシクは2015年に、新しいチーム-3年連続で世界選手権チームレースで優勝しているVelocio-SRAM-で走る予定だといいました。アレナはこれについて-スポーツ経歴の新しいステージ-は新たなチャレンジだとのこと。

アレクサンダー・シャムコはアスリートたちやコーチ達が健康で新しい成功をおさめることを祈っています。
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サイトに掲載された写真見ると、選手3人共フォーマルじゃなくて、普通にカジュアルな服装で来ていて少し驚きではあった(^_^;)。

シーズン報告会と表彰が終わったら、非公式でこれからのベラルーシ国内の自転車界についての未来について語る意見交換も行われたようで、有意義な時間を過ごしたのではないでしょうか。トラックとは違いまだまだロードについては国内でも知名度は低いので、これから少しでも良い方向に向かうといいですね。

3人共お疲れ様でした(^^)。


2014年11月13日木曜日

キリエンカインタビュー記事:Dneprovecより。

ベラルーシのゴメリ州リチェザで刊行されている新聞、Dneprovecがキリエンカのインタビュー記事を載せているのを見つけました。リチェザ生まれで今もここに住まいを構える彼の自宅を訪ねてインタビューを行ったようです。

記事冒頭のお写真のキリエンカの笑顔が素敵なこと!(^^)
あんまり私服の彼の写真はめったに見ないので貴重なものもありますけどね。

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Василий Кириенко: трасса длиною в жизнь 

ヴァシル・キリエンカ:生涯自転車で走り続ける

我々の有名なサイクリストであるヴァシル・キリエンカは昨シーズンは極めて成功した事が明らかになりました。過去には有名なグランツールの”ジロ・デ・イタリア”と”ブエルタ”でステージ優勝を飾り、ヴァシルは世界で最も大きな自転車レースである”ツール・ド・フランス”でも表彰台を考えていると言います。加えて、ヴァシルはスペイン、ポンフェラーダの自転車ロード世界選手権での勝利者の中に入るのには十分ではありませんでした。我々の有名な出身者の足がかりを求めて、彼の故郷を訪ねました。

-休日はたくさん仕事が溜まっていますね?
そんなに深刻な要件は無いけれどね。仕事でもないよ。でも毎日の日課が幾つか。もちろん、十分あるさ。僕がいない間に本当にたまってしまうけどね。今日はインターネットの為のケーブルを台座の下に繋いだり、子供たちのおもちゃの電池を交換したよ。

-一般的に、ライダーは長い間不在なのですか?
働く日があったりイレギュラーな日もある。僕らが望んだり-練習を必要としたり。いや、他のことから考えると、常に好調でなければならないということです。加えて僕らはチームのコントロール下に置かれています。僕らは自転車のパフォーマンス速度が表示されたコンピューターで練習します。また、個人でアンチ・ドーピング検査のチェックを何時も受けなくてはならないので、僕らの居場所は常に知られなければいけません。そして、どこに選手たちがいるのかを知らせてチームを安心させるのです。例えば、僕は今期最後のレース”ジロ・デ・ロンバルディ”でイタリアに到着した。でも僕のコクでコンピューターで設定の変更をし忘れていた。僕はまだスペインのパンブローナにいることになっていた(*管理人注:キリエンカのシーズン中の練習拠点はパンブローナ)。僕はすぐにチームに呼び出されることで、正しく直す必要が有ることに気付くというわけ。

-プロサイクリングチームとはどういうものですか?
まず、同じ目標を目指すとても調和されたチームということです。サイクリストとしての正確な角度から、僕らと直接に特定のサービス要員スタッフが働いているのを耐えず見ています。これは技術者や、メカニック、マッサー、チームマネージャー、アスレチックディレクター、ドクターがしばしば存在します。その後ろにもまだたくさんの人達が在籍しています。僕のチーム”スカイ”はサイクリング界のトップレベルに位置しています。それは、組織によって、そして、小さなものでさえ感じられます。チームオフィスはイギリスにあります。僕がちょうど何度か見たところではおそらく、冬のコレクションや例えば”ツール・ド・フランス”マーケティング部門に従事する人たちがいたと思います。
10月20日から23日に僕らはロンドンに集まって短い間により組織的な概念に専念したり、健康診断や、チーム全体でディナーも摂りました。27人の選手とあわせて全員で約80人いたかな。

-プロサイクルチームの特徴は、レースの間に他の人全てが働かなくてはならない自転車選手の主要なリーダーの存在です。
契約にサインするに当たって、それに関して規定された状況に同意している。意思をレースで働かせることが出来る人は、実行する事ができる仕事をより話し合って特別なものにする誰かの為に計画される為の質問だ。全ては身体的状況に依存され、仮決定されたレースでは、仮に延期があったとしても、おおよそ最大限の調子でなくてはなりません。
契約の事に戻るけれども、僕は別の領域から例を出したいと思う。もし、ある人が配管工として学校へ仕事にやってきた時、僕が考えるに彼は教頭先生の仕事をやる必要はないわけだ。当然、スポーツチームでは多少難しい。正確な変化は表示されないからね。特に3週間のレースの間すら、戦術は変化する。誰かが完全に回復できないと、他の誰かがレースで早めに相当多量な仕事をするだろう、そしてまた他の誰かが最後にリーダーを助けなくちゃならない。リーダーになるのはとても難しい。より責任があるんだ。

-リーダーのために働く時、自身の野望を抑えなくてはなりませんか?
僕は33歳。今の僕にとってのサイクリングは仕事。その仕事は余分なものであっても好みます。何人かの自転車選手は12歳で、一つの勝利を資産にプロとして乗っている。「そう、僕はいつもリーダーのために働く」-って言うよ。もし、実際に何かの立場にあれば、いくつかの時が証明するでしょう。そして、すべての役割がむしろ正確に分けられる僕らのチームにおいてさえ、まったく、若干まれな状況があります。例えば、今年の”ツール・ド・フランス”の時、昨年のグランツールの勝者クリス・フルームがリタイヤし、あるいはリッチー・ポートの総合争いからの離脱がありました。それは残りのレースは独立できる事を証明する特別な機会でした。それは2,3つの他のタスクがあるいっそう少ない重要なレースでした。例えば、今年テネリフェ島で集まった後、バイエルン一周のためにドイツに行きました。僕は総合3位でレースを終えました。同時に僕らのイギリス人選手の勝利を助けました。怒ることはなかったよ。

もし、何も見せずに不可思議なトレーニングで、途方もない野心を露わにするところまで行き着いたとしたら、勿論誰も信じないでしょう。そしてもし、”ツール・ド・フランス”であっても、同じようにとても相当な状態まで辿り着いていたとすれば、その事実に誰も目を瞑らないでしょうね。

-プロサイクリングの世界での友情は可能ですか?
チームとは純粋に仕事の関係だね。常に変化しているチームで僕らは仕事をしている。6年間同じチーム(スペインチームで4年、現在のチームで2年)で過ごしてきたビルバオ在住の1人のバスク人がいる。最初僕が彼の性格にあまり馴染めなかったにも関わらず、今は親しくて温和な関係だ。
そして、深い友好について話しならば、ヨーロッパではその概念はまったくありません。何もかもどういうわけかひとつに数えられます。一度フルームが短いサーキットレースのクリテリウムに参加する為に日本に招待されました。そこではスタートするためにいくらか稼ぐ事も出来ました。併せて、ビジネスクラスの飛行機、素晴らしいホテルも。でも、僕にとってもうレースは十分。家族とより多くの時間を過ごすことが最大限必要でした。そして彼女と3人の子供たちを日本に連れて行くことはできないでしょう。

-プロスポーツで長い間やっているであろうとなかろうと、自転車に飽きるときはないですか?
時々ね、ただお金を稼いでるという最重要なものがないとみなされると、まさにそれが修羅場になる仕事に出会うこともあるよ。でも、なにか新しいものが常に開くのが厳しいところで、そんな特別なものがたくさんあるんだ。同じ循環と繰り返しが基本となる働きができる同じ先生を連れて来ること。うん、新しい子供たちがやってきて、プログラムを変える。そして僕が持つ。今日は僕はひとつのコマンドにやってくる-一つの感情が生まれる。コマンド変える-別の感情が生まれる。

そう、時々、トレーニングがきつくて疲れます。考えます:僕は全てのこの道を進んだと。また考えます:その他にどこで練習しますか?リチェザに向かう、子供の頃1人でかつて一度通った道を通り過ぎる。ノスタルジアだ。あるところには松林がある。さて、既に半年過ぎていないスペインに向かう-そして全て再び良くなる。すべての点で、良い面を探すことが、必要です。これが一本調子を直す一番の方法ですね。

-いくつかのレースは200キロを超える長い距離もあります。明らかに果てしない距離を選手たちはどうやって打ち勝とうとするのか不思議に思います。
これらのレースの一つのキーポイントはスタートからのタイム差のコントロールとフィニッシュです。全てのステージが違っています。平坦ステージは問題は少ないです。たとえ話をしたいなら、誰かとコミニュケーションをする時に、コース上には自由な時間があります。なにか考えますか?最近は妥協しない戦いからサイクリングの特性を変えることが難しくなってきています。若い選手は希望を持ちます。何人かの憧れのアイドルはアルベルト・コンタドール。そして、僕らのチームにいるノルウェー人の強い選手、エドヴァルド・ボアッソンハーゲンです。彼が僕らと来て結果を出し始めた時、そのレースに彼を推薦してくれたアスレチックディレクターがこう言いました。「君はまさにベッティーニ(パオロ・ベッティーニ-オリンピック金メダリスト、2度の世界チャンピオン)の背後に位置していた、いずれにせよ全てのレース彼の後ろにいなさい。そして最後にステージを勝利をあげられるようにしなさい。」その時ノルウェー人はこう返事したのです。「ベッティーニって誰ですか?」

サイクリングのレベルはとても平均的です。グランツールの総合順位のアドバンテージは時折秒数で測ります。リーダーはトラブルを回避するためにいつも先に行きます。22チームがスタートします。そして彼らは全て同じ仕事があります。道の幅は20フィートから3フィートと異なっていて、全て前に行かねばなりません。僕らはリスクを犯して1センチも失わない事が必要となります。1センチを過ぎてしまったら、ポジションを失ってしまいますから。

-国際チームで話されている言葉はなんですか?
チームがイギリスにあるから、全てのミーティングは英語で行います。僕はたいして興味はないんだけどどういうわけかこの言語が好きなんだ。紙て言っているいることは理解できます。僕は何か話すことはできるよ、本当に。
僕がイタリアに来た時、国のこと、暮らしのことにとても興味を持ちました。きっとまだ若かったからだろうね。そしてイタリア語に構成が似ている言語でもあるスペインにきました。最初は理解するのが難しかったです。加えてスペインはたくさんの方言があるんだ。例えば、アレハンドロ・バルベルデが話している事を僕がわかるようになったのは2年目の終わりぐらいかな。

チームにはたとえば、僕を含めてスペイン語を話すグループにコンタクトを取れる信頼の置ける人がいますね、僕は共通語を見つけますね。幾つかレターを送るならば、インターネットで全ての可能性を考えるので、訳すのは難しいことではないですよ。

-チームメートはベラルーシについて何か知っていますか?
時々聞いてくるよ。僕らのマネージャーはトラック世界選手権のためミンスクにいました。”ミンスク-アリーナ”のトラックにとても感動していました。ちょうどチームが生き方に興味を持っていたことは表面的なものではありません。でもそのような会話はたまにしかないかな。

-もし、原点に戻ったとしたら、ヴァシル・キリエンカとサイクリングの分岐点の時はどのような大きな役割があったのでしょう?
僕達の人生にチャンスの役割は極めて大きい。すべての人が望む方向のやり方でチャンスに直面できていると思います。先日ミンスクにあって、成功するにおいてまず第一に才能を見たいと思っているディレクターについての記事が乗っている雑誌を読みました。でも、幸運なのかどうかは誰も考えないでしょう。人々は小さな瞬間も気がつきません。今や、行き詰まったと先に思い出そうとする時、振り返ることができます。でも、何歩か前進していて、そこでいまだに収穫があることを確信できます。そう、僕はプロアスリートととしてそれが言えますよ。突然、オリンピックメダルを獲得したり世界選手権で勝つことが同時発生することだってあるだろうね。

-ロードレースとトラックのスキルを結びつけたユニバーザリズムの根本とは?
実は、トラック上のテンポのトレーニングは完全にロードから移行されたものです。重要な無酸素性の身体はレースの進行中に回復する能力です。十分な年数と経験でそのテクニックは作られます。僕の最初の経験は1999年のアテネでのジュニア世界選手権前のモスクワでの集まりでした。トラックでの技術スキルはロードに転向した時の助けになりました。トラックのレースシリーズの後、もし誰かがサドルをもっているならば、その時ロードに向かう、ただ一つのことです。

-重要なのはあなたの今年のグランツール”ツール・ド・フランス”のみ甘受しなかった。そのエリートと特異性はなんでしょうか。
いかにも、このグランツールの周辺はとても興奮させるものがあります。背後には重要なオーガナイザーもいます。このツールにはたくさんのお金も掛かっています。周囲にはメディアやテレビといったものからの大きな反響もあります。レースに関する限りでは、僕はその特性があるから本当に好きじゃない。僕は”ジロ・デ・イタリア”がより好きだ。そこには様々な山があるからね!イタリアでは数年レースが行われているし、ルートは繰り返されることはない。そしてフランスでは全てが究極だ。一般の”ツール・ド・フランス”の休みとイギリスの3ステージと比較してみました。一般人のサイクリングに対しての興味単純に非現実的でした。既に道は塞がれていて、人々がスタートで家族とバイクと共に次々と捕まえるかのようでした。第1ステージでオーガナイザーが約300万人の沿道の観客数をカウント、見込んでいました。人々はリラックスしていて、似通っていた事実に誇りを持っていました。壮大なイベントは同じ観衆によってつくられるのです。スタジアムの認識で言えば、僕は本来サッカーが好きではありません。僕にとってそれは単純にスポーツ。でも、2,3度スタジアムに行って、サッカーの中継を見て楽しいといえるようになった。ファンが必要な感情を作ってくれるのさ。しかしながら、世界選手権ではヒスパニックチームに対して苦しんだ。スペイン人が中心の仲間、そして僕-オランダ人中心の仲間。そしてドイツ中心の仲間がブラジル人たちと相対した時のようにね。

人々は休日を過ごして、それを楽しむことができるのさ。

-彼らは私達はヨーロッパの国々の中であまり笑わないといいますね
僕自身、笑顔がない人間として知られている。僕が1人で走っていた時、”ユーロスポーツ”のコメンテーターが私達は彼の笑顔を表彰台で見られるか、きっと、これはベラルーシ人の特徴なんだ、とジョークを言った。でも僕はみだりに笑顔を見せるのは賛同したくない。幾人かのアメリカ人だって、心からの笑顔をみせていたり、単に緊張していると特定するのは難しいんじゃないかな。たぶん、彼らは何年にわたって真似をするんじゃない?いくつか見せかけの。

-スペインでの世界選手権を終えてどんなお気持ちですか?
とても充実して満足している。僕は”ブエルタ”に参加してこの世界選手権のレースに対して備えていました。個人のレースはとても良かったです。ただ35キロを越えた後、どのように他の選手が対峙しているかわからなくて心配になってしまったかな。
個人タイムトライアルとロードレースは本当に良かったと思っています。

最後のレースで、僕は極めて自転車の世界で有名になりました。たくさんのファンが僕をサポートしてくれて嬉しい。応援も。ステージを終えた時そんなに良い状態じゃなかったね。夢は早くバイクを降りて、そしてバスに行くことかな。

シーズンを終えて、僕は良い調子だったと思います。僕は勿論メダルをとりたい。特に一番多くの時間を過ごしているスペインで。3年連続で僕はメダルのために戦いました。そしてそれは自分の能力に自身がついたと僕は思います。

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かなり言い回し方が独特すぎて、訳するの難しいなー(>_<)。
意味不明なところが多すぎて申し訳ないorz。

まさか、笑わない話が質問で出てくるとは思わなかったw。更に、本人が世界選手権でのユロスポ解説者による「笑顔で表彰台を見られるか」発言があったことを把握していたとは全くといって思ってなかった(苦笑)。彼のポリシー的に「むやみに笑うのはNG」ってことですね。
(ベラルーシ人の特徴だろうってとこまで解説が言ってたのは知らなんだわ)
それとボアッソンの「ベッティーニって誰ですか」発言、いつの話だろう?ちょっと仰け反ったけどそこのところはジェネレーションギャップなのかねーと思ったり。
ポンフェラーダの世界選は満足な結果だったというのは良かった。メダル争いに3年連続で挑めたことで自信が深まったのも良かったし。
さいたまに行かなかったのは、今季はレースするのはもう十分で、それよりも家族と過ごすことが最重要で、みんなを連れて日本に行くことはできないという理由からでした。これは去年の一件(ツールリタイヤして帰宅して、フルーミーの想像優勝の祝勝会にパリに呼ばれていたのだけれども、家族と一緒にいることを選択しお断りした)もあり、ブレてないなと(^_^;)。一度は日本に来てほしいんだけど、難しいかなあ。。。

何はともあれ、今季もお疲れ様でした。来季もこの調子で頑張ってくださいね(^^)。

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2014年9月28日日曜日

キミの新たな旅立ちに幸あらんことを。

モルギーが、9/26にザルツブルグで記者会見を開き、現役引退を公式に発表しました。

公式サイトDiary

理由はやはり、1月のクルム/バートミッテンドルフのフライング予選での落下事故に起因するもの。怪我については完治してフィジカル面は大丈夫だが、ジャンプを飛ぶ際に沸き起こる恐怖心が最後まで取り除けなかったことが決定打となった様子。

夏頃から徐々にトレーニングしたり、ジャンプもしたりしている写真を彼のフェイスブックで何度も見ていたので、順調そうだなと思っていたのですが、精神面は非常に苦しんでいたのですね。その上で一番選択したくなかった辛い決断をしたモルギー…。その決断を下した時、彼がどんな心境だったかと思うと胸が詰まって言葉が出てきません。

ソチ五輪を終えてから今季終了のアナウンス時、モルギーがこれから将来のこともゆっくり考えるよ、と言ってた時から、「彼からどんな発表が出てきたとしても、冷静に受け止めなければ…」と常々思っていたんですけど…。

やっぱりダメでした。

Twitterには発表直後にサラッと色々と書きましたが、その後様々なスキージャンプ関連の方のフェイスブックやTwitterで引退報道の反応を見ていくうちに涙が溢れて…。



昨シーズンは久しぶりにティティゼー・ノイシュタットでワールドカップ優勝した翌日の試合で着地時に転倒して顔面から突っ込む形で負傷。この時は手術→片手にギプスをはめた状態で、スキーシューズはコーチに紐を締めてもらう等してサポートを介しながらもジャンプ週間前に復帰、見事総合2位に入り、ソチ五輪に向けても好アピールと思った矢先のクルムでの悪夢の大落下事故に見舞われ暗転。頭と肺を損傷し、五輪への道は絶望視とも言われ、とにかく病院や彼側のオフィシャルの発表が出るまでは気が気でなく、最初の彼からの声明がフェイスブックで出た時は、それまであった緊張の糸がぶつっと切れて安堵したと同時に泣き崩れたのをよく覚えています。

事故から1ヶ月後、”無事に帰ること”を目標にソチ五輪に出場。

この時から既に恐怖心が出てきていて、苦しかったようです。
それでもソチ五輪に出たのは五輪が今季彼の一番の目標だったこと、そして常勝オーストリアチームリーダーとしてのプライドがそれを乗り越えさせたのではないかと思います。今思い返せば本当に凄いよね…。大落下事故から1ヶ月で、ジャンプ台に戻って飛んでるんだもんな。そして団体で銀メダルもとってさ…。よくやったと思いますよ。

ちょっと前のモルギーのフェイスブックに、メンテ中のクルムのジャンプ台の下で撮った写真があって、そこに「あれから数ヶ月たったけど、まだ鳥肌が立つ」とコメントが添えられてて、これはもしかしたら厳しいかもしれないな…という予感がちらっと頭によぎったのですが、やっぱりあたってしまいましたね(>_<)。

前にもちょっと話したことありますが、私がモルギーファンになったのは2009年リベレツの世界選手権NHで転倒して優勝を逃した時、悔し泣きしながら フェンスを叩きつけていた光景がずっと忘れられなかった事が発端でした。気がつけば彼の魅力的で明るくフレンドリーなキャラクターに夢中になって、更に チームオーストリア全体も好きになって、スキージャンプも本腰入れてライストやJスポで中継を見るようになって…という感じになったので、今のスキージャ ンプファンの私があるのもみんなモルギーのおかげと言ってもいいくらいです。

彼で印象に残ってるのはやっぱり2011年オスロ世界選手権NHで優勝した時ですかねぇ。リベレツのリベンジ返しというか、喜びっぷりを見ててとても嬉しかったので。

踏み切ったらどこまでも飛んでいきそうな彼の元気の詰まったジャンプは、いつ見てもダイナミックでカッコ良かったです。一度生でそのジャンプを見たかったな…。

そして、オーストリアチームの中ではシュリーリとのコンビが一番好きでした。
彼らの並びを見ているとまるで本当の兄弟みたいで、微笑ましくて。
これからこの二人が一緒に試合会場にいないのが想像できないし寂しい。・゚・(ノД`)・゚・。
シュリーリのFBには胸に来るものがありすぎて一番泣きました・゚・(ノД`)・゚・。

これからのことはまだ決めてない、とのことですが
好奇心旺盛のモルギーのこと、興味あるものが出て来ればとことんチャレンジしてほしいと思いますし、勿論、スキージャンプ関係のお仕事にも関わってほしいと思いますね。そして、愛するリリーちゃんのよきパパであってください。

引退セレモニーもいつか行われると思いますが、場所としては ジャンプ週間中のインスブルックか、もしくは彼が一番好きな台だって言ってたビショスフホーヘンになるのかなあと思ったり(さすがにプラニッツァまではのびのびにならないとは思う(^_^;))

悲しいけれども、キミの新たな旅立ちに幸あらんことを。

トーマス・モルゲンシュテルン選手、あなたのファンでいられてとっても幸せでした。
ソチ五輪団体2本目の笑顔で締めくくったジャンプは、絶対忘れません。

本当にお疲れ様でした、そしてありがとう。

Good Luck,Morgi!!!