2014年11月13日木曜日

キリエンカインタビュー記事:Dneprovecより。

ベラルーシのゴメリ州リチェザで刊行されている新聞、Dneprovecがキリエンカのインタビュー記事を載せているのを見つけました。リチェザ生まれで今もここに住まいを構える彼の自宅を訪ねてインタビューを行ったようです。

記事冒頭のお写真のキリエンカの笑顔が素敵なこと!(^^)
あんまり私服の彼の写真はめったに見ないので貴重なものもありますけどね。

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Василий Кириенко: трасса длиною в жизнь 

ヴァシル・キリエンカ:生涯自転車で走り続ける

我々の有名なサイクリストであるヴァシル・キリエンカは昨シーズンは極めて成功した事が明らかになりました。過去には有名なグランツールの”ジロ・デ・イタリア”と”ブエルタ”でステージ優勝を飾り、ヴァシルは世界で最も大きな自転車レースである”ツール・ド・フランス”でも表彰台を考えていると言います。加えて、ヴァシルはスペイン、ポンフェラーダの自転車ロード世界選手権での勝利者の中に入るのには十分ではありませんでした。我々の有名な出身者の足がかりを求めて、彼の故郷を訪ねました。

-休日はたくさん仕事が溜まっていますね?
そんなに深刻な要件は無いけれどね。仕事でもないよ。でも毎日の日課が幾つか。もちろん、十分あるさ。僕がいない間に本当にたまってしまうけどね。今日はインターネットの為のケーブルを台座の下に繋いだり、子供たちのおもちゃの電池を交換したよ。

-一般的に、ライダーは長い間不在なのですか?
働く日があったりイレギュラーな日もある。僕らが望んだり-練習を必要としたり。いや、他のことから考えると、常に好調でなければならないということです。加えて僕らはチームのコントロール下に置かれています。僕らは自転車のパフォーマンス速度が表示されたコンピューターで練習します。また、個人でアンチ・ドーピング検査のチェックを何時も受けなくてはならないので、僕らの居場所は常に知られなければいけません。そして、どこに選手たちがいるのかを知らせてチームを安心させるのです。例えば、僕は今期最後のレース”ジロ・デ・ロンバルディ”でイタリアに到着した。でも僕のコクでコンピューターで設定の変更をし忘れていた。僕はまだスペインのパンブローナにいることになっていた(*管理人注:キリエンカのシーズン中の練習拠点はパンブローナ)。僕はすぐにチームに呼び出されることで、正しく直す必要が有ることに気付くというわけ。

-プロサイクリングチームとはどういうものですか?
まず、同じ目標を目指すとても調和されたチームということです。サイクリストとしての正確な角度から、僕らと直接に特定のサービス要員スタッフが働いているのを耐えず見ています。これは技術者や、メカニック、マッサー、チームマネージャー、アスレチックディレクター、ドクターがしばしば存在します。その後ろにもまだたくさんの人達が在籍しています。僕のチーム”スカイ”はサイクリング界のトップレベルに位置しています。それは、組織によって、そして、小さなものでさえ感じられます。チームオフィスはイギリスにあります。僕がちょうど何度か見たところではおそらく、冬のコレクションや例えば”ツール・ド・フランス”マーケティング部門に従事する人たちがいたと思います。
10月20日から23日に僕らはロンドンに集まって短い間により組織的な概念に専念したり、健康診断や、チーム全体でディナーも摂りました。27人の選手とあわせて全員で約80人いたかな。

-プロサイクルチームの特徴は、レースの間に他の人全てが働かなくてはならない自転車選手の主要なリーダーの存在です。
契約にサインするに当たって、それに関して規定された状況に同意している。意思をレースで働かせることが出来る人は、実行する事ができる仕事をより話し合って特別なものにする誰かの為に計画される為の質問だ。全ては身体的状況に依存され、仮決定されたレースでは、仮に延期があったとしても、おおよそ最大限の調子でなくてはなりません。
契約の事に戻るけれども、僕は別の領域から例を出したいと思う。もし、ある人が配管工として学校へ仕事にやってきた時、僕が考えるに彼は教頭先生の仕事をやる必要はないわけだ。当然、スポーツチームでは多少難しい。正確な変化は表示されないからね。特に3週間のレースの間すら、戦術は変化する。誰かが完全に回復できないと、他の誰かがレースで早めに相当多量な仕事をするだろう、そしてまた他の誰かが最後にリーダーを助けなくちゃならない。リーダーになるのはとても難しい。より責任があるんだ。

-リーダーのために働く時、自身の野望を抑えなくてはなりませんか?
僕は33歳。今の僕にとってのサイクリングは仕事。その仕事は余分なものであっても好みます。何人かの自転車選手は12歳で、一つの勝利を資産にプロとして乗っている。「そう、僕はいつもリーダーのために働く」-って言うよ。もし、実際に何かの立場にあれば、いくつかの時が証明するでしょう。そして、すべての役割がむしろ正確に分けられる僕らのチームにおいてさえ、まったく、若干まれな状況があります。例えば、今年の”ツール・ド・フランス”の時、昨年のグランツールの勝者クリス・フルームがリタイヤし、あるいはリッチー・ポートの総合争いからの離脱がありました。それは残りのレースは独立できる事を証明する特別な機会でした。それは2,3つの他のタスクがあるいっそう少ない重要なレースでした。例えば、今年テネリフェ島で集まった後、バイエルン一周のためにドイツに行きました。僕は総合3位でレースを終えました。同時に僕らのイギリス人選手の勝利を助けました。怒ることはなかったよ。

もし、何も見せずに不可思議なトレーニングで、途方もない野心を露わにするところまで行き着いたとしたら、勿論誰も信じないでしょう。そしてもし、”ツール・ド・フランス”であっても、同じようにとても相当な状態まで辿り着いていたとすれば、その事実に誰も目を瞑らないでしょうね。

-プロサイクリングの世界での友情は可能ですか?
チームとは純粋に仕事の関係だね。常に変化しているチームで僕らは仕事をしている。6年間同じチーム(スペインチームで4年、現在のチームで2年)で過ごしてきたビルバオ在住の1人のバスク人がいる。最初僕が彼の性格にあまり馴染めなかったにも関わらず、今は親しくて温和な関係だ。
そして、深い友好について話しならば、ヨーロッパではその概念はまったくありません。何もかもどういうわけかひとつに数えられます。一度フルームが短いサーキットレースのクリテリウムに参加する為に日本に招待されました。そこではスタートするためにいくらか稼ぐ事も出来ました。併せて、ビジネスクラスの飛行機、素晴らしいホテルも。でも、僕にとってもうレースは十分。家族とより多くの時間を過ごすことが最大限必要でした。そして彼女と3人の子供たちを日本に連れて行くことはできないでしょう。

-プロスポーツで長い間やっているであろうとなかろうと、自転車に飽きるときはないですか?
時々ね、ただお金を稼いでるという最重要なものがないとみなされると、まさにそれが修羅場になる仕事に出会うこともあるよ。でも、なにか新しいものが常に開くのが厳しいところで、そんな特別なものがたくさんあるんだ。同じ循環と繰り返しが基本となる働きができる同じ先生を連れて来ること。うん、新しい子供たちがやってきて、プログラムを変える。そして僕が持つ。今日は僕はひとつのコマンドにやってくる-一つの感情が生まれる。コマンド変える-別の感情が生まれる。

そう、時々、トレーニングがきつくて疲れます。考えます:僕は全てのこの道を進んだと。また考えます:その他にどこで練習しますか?リチェザに向かう、子供の頃1人でかつて一度通った道を通り過ぎる。ノスタルジアだ。あるところには松林がある。さて、既に半年過ぎていないスペインに向かう-そして全て再び良くなる。すべての点で、良い面を探すことが、必要です。これが一本調子を直す一番の方法ですね。

-いくつかのレースは200キロを超える長い距離もあります。明らかに果てしない距離を選手たちはどうやって打ち勝とうとするのか不思議に思います。
これらのレースの一つのキーポイントはスタートからのタイム差のコントロールとフィニッシュです。全てのステージが違っています。平坦ステージは問題は少ないです。たとえ話をしたいなら、誰かとコミニュケーションをする時に、コース上には自由な時間があります。なにか考えますか?最近は妥協しない戦いからサイクリングの特性を変えることが難しくなってきています。若い選手は希望を持ちます。何人かの憧れのアイドルはアルベルト・コンタドール。そして、僕らのチームにいるノルウェー人の強い選手、エドヴァルド・ボアッソンハーゲンです。彼が僕らと来て結果を出し始めた時、そのレースに彼を推薦してくれたアスレチックディレクターがこう言いました。「君はまさにベッティーニ(パオロ・ベッティーニ-オリンピック金メダリスト、2度の世界チャンピオン)の背後に位置していた、いずれにせよ全てのレース彼の後ろにいなさい。そして最後にステージを勝利をあげられるようにしなさい。」その時ノルウェー人はこう返事したのです。「ベッティーニって誰ですか?」

サイクリングのレベルはとても平均的です。グランツールの総合順位のアドバンテージは時折秒数で測ります。リーダーはトラブルを回避するためにいつも先に行きます。22チームがスタートします。そして彼らは全て同じ仕事があります。道の幅は20フィートから3フィートと異なっていて、全て前に行かねばなりません。僕らはリスクを犯して1センチも失わない事が必要となります。1センチを過ぎてしまったら、ポジションを失ってしまいますから。

-国際チームで話されている言葉はなんですか?
チームがイギリスにあるから、全てのミーティングは英語で行います。僕はたいして興味はないんだけどどういうわけかこの言語が好きなんだ。紙て言っているいることは理解できます。僕は何か話すことはできるよ、本当に。
僕がイタリアに来た時、国のこと、暮らしのことにとても興味を持ちました。きっとまだ若かったからだろうね。そしてイタリア語に構成が似ている言語でもあるスペインにきました。最初は理解するのが難しかったです。加えてスペインはたくさんの方言があるんだ。例えば、アレハンドロ・バルベルデが話している事を僕がわかるようになったのは2年目の終わりぐらいかな。

チームにはたとえば、僕を含めてスペイン語を話すグループにコンタクトを取れる信頼の置ける人がいますね、僕は共通語を見つけますね。幾つかレターを送るならば、インターネットで全ての可能性を考えるので、訳すのは難しいことではないですよ。

-チームメートはベラルーシについて何か知っていますか?
時々聞いてくるよ。僕らのマネージャーはトラック世界選手権のためミンスクにいました。”ミンスク-アリーナ”のトラックにとても感動していました。ちょうどチームが生き方に興味を持っていたことは表面的なものではありません。でもそのような会話はたまにしかないかな。

-もし、原点に戻ったとしたら、ヴァシル・キリエンカとサイクリングの分岐点の時はどのような大きな役割があったのでしょう?
僕達の人生にチャンスの役割は極めて大きい。すべての人が望む方向のやり方でチャンスに直面できていると思います。先日ミンスクにあって、成功するにおいてまず第一に才能を見たいと思っているディレクターについての記事が乗っている雑誌を読みました。でも、幸運なのかどうかは誰も考えないでしょう。人々は小さな瞬間も気がつきません。今や、行き詰まったと先に思い出そうとする時、振り返ることができます。でも、何歩か前進していて、そこでいまだに収穫があることを確信できます。そう、僕はプロアスリートととしてそれが言えますよ。突然、オリンピックメダルを獲得したり世界選手権で勝つことが同時発生することだってあるだろうね。

-ロードレースとトラックのスキルを結びつけたユニバーザリズムの根本とは?
実は、トラック上のテンポのトレーニングは完全にロードから移行されたものです。重要な無酸素性の身体はレースの進行中に回復する能力です。十分な年数と経験でそのテクニックは作られます。僕の最初の経験は1999年のアテネでのジュニア世界選手権前のモスクワでの集まりでした。トラックでの技術スキルはロードに転向した時の助けになりました。トラックのレースシリーズの後、もし誰かがサドルをもっているならば、その時ロードに向かう、ただ一つのことです。

-重要なのはあなたの今年のグランツール”ツール・ド・フランス”のみ甘受しなかった。そのエリートと特異性はなんでしょうか。
いかにも、このグランツールの周辺はとても興奮させるものがあります。背後には重要なオーガナイザーもいます。このツールにはたくさんのお金も掛かっています。周囲にはメディアやテレビといったものからの大きな反響もあります。レースに関する限りでは、僕はその特性があるから本当に好きじゃない。僕は”ジロ・デ・イタリア”がより好きだ。そこには様々な山があるからね!イタリアでは数年レースが行われているし、ルートは繰り返されることはない。そしてフランスでは全てが究極だ。一般の”ツール・ド・フランス”の休みとイギリスの3ステージと比較してみました。一般人のサイクリングに対しての興味単純に非現実的でした。既に道は塞がれていて、人々がスタートで家族とバイクと共に次々と捕まえるかのようでした。第1ステージでオーガナイザーが約300万人の沿道の観客数をカウント、見込んでいました。人々はリラックスしていて、似通っていた事実に誇りを持っていました。壮大なイベントは同じ観衆によってつくられるのです。スタジアムの認識で言えば、僕は本来サッカーが好きではありません。僕にとってそれは単純にスポーツ。でも、2,3度スタジアムに行って、サッカーの中継を見て楽しいといえるようになった。ファンが必要な感情を作ってくれるのさ。しかしながら、世界選手権ではヒスパニックチームに対して苦しんだ。スペイン人が中心の仲間、そして僕-オランダ人中心の仲間。そしてドイツ中心の仲間がブラジル人たちと相対した時のようにね。

人々は休日を過ごして、それを楽しむことができるのさ。

-彼らは私達はヨーロッパの国々の中であまり笑わないといいますね
僕自身、笑顔がない人間として知られている。僕が1人で走っていた時、”ユーロスポーツ”のコメンテーターが私達は彼の笑顔を表彰台で見られるか、きっと、これはベラルーシ人の特徴なんだ、とジョークを言った。でも僕はみだりに笑顔を見せるのは賛同したくない。幾人かのアメリカ人だって、心からの笑顔をみせていたり、単に緊張していると特定するのは難しいんじゃないかな。たぶん、彼らは何年にわたって真似をするんじゃない?いくつか見せかけの。

-スペインでの世界選手権を終えてどんなお気持ちですか?
とても充実して満足している。僕は”ブエルタ”に参加してこの世界選手権のレースに対して備えていました。個人のレースはとても良かったです。ただ35キロを越えた後、どのように他の選手が対峙しているかわからなくて心配になってしまったかな。
個人タイムトライアルとロードレースは本当に良かったと思っています。

最後のレースで、僕は極めて自転車の世界で有名になりました。たくさんのファンが僕をサポートしてくれて嬉しい。応援も。ステージを終えた時そんなに良い状態じゃなかったね。夢は早くバイクを降りて、そしてバスに行くことかな。

シーズンを終えて、僕は良い調子だったと思います。僕は勿論メダルをとりたい。特に一番多くの時間を過ごしているスペインで。3年連続で僕はメダルのために戦いました。そしてそれは自分の能力に自身がついたと僕は思います。

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かなり言い回し方が独特すぎて、訳するの難しいなー(>_<)。
意味不明なところが多すぎて申し訳ないorz。

まさか、笑わない話が質問で出てくるとは思わなかったw。更に、本人が世界選手権でのユロスポ解説者による「笑顔で表彰台を見られるか」発言があったことを把握していたとは全くといって思ってなかった(苦笑)。彼のポリシー的に「むやみに笑うのはNG」ってことですね。
(ベラルーシ人の特徴だろうってとこまで解説が言ってたのは知らなんだわ)
それとボアッソンの「ベッティーニって誰ですか」発言、いつの話だろう?ちょっと仰け反ったけどそこのところはジェネレーションギャップなのかねーと思ったり。
ポンフェラーダの世界選は満足な結果だったというのは良かった。メダル争いに3年連続で挑めたことで自信が深まったのも良かったし。
さいたまに行かなかったのは、今季はレースするのはもう十分で、それよりも家族と過ごすことが最重要で、みんなを連れて日本に行くことはできないという理由からでした。これは去年の一件(ツールリタイヤして帰宅して、フルーミーの想像優勝の祝勝会にパリに呼ばれていたのだけれども、家族と一緒にいることを選択しお断りした)もあり、ブレてないなと(^_^;)。一度は日本に来てほしいんだけど、難しいかなあ。。。

何はともあれ、今季もお疲れ様でした。来季もこの調子で頑張ってくださいね(^^)。

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